看護師経験

たかが看護師、されど看護師

看護師キツイ画像3

地元の高校を卒業後、東京都立看護専門学校に入学しました。

決して裕福とはいえなかった家庭を、経済的に少しでも早く楽にしてあげたいという気持ちが、私をこの道に向かわせたのだと思います。

 

入学当初は、日々ひたすら勉学に励んでいました。人生経験も浅く、世間知らずだった当時の私にできることは、刻苦勉励することしかなかったからでしょう。
しゃにむに勉強に打ち込んだ結果、国家試験には一発で合格し、某国立大学付属病院感染症内科(所謂、「お礼奉公」の一環)で、看護師としての第一歩を踏み出すことになりました。
右も左も分からなかった一年目は、もう無我夢中で働きました。諸先輩の指導を忠実に守り、何の疑問も持たずに懸命に働くだけで、辞めたいとか転職したいなどとは夢にも思いませんでした。
しかし、二年目に入り、看護師としての仕事に余裕が持てるようになってきてからは、ただ闇雲に指示に従って働いている自分に対して疑問を感じるようになってきました。指導とは名ばかりの罵詈雑言を浴びせ続けるだけの先輩の態度や、夜勤による肉体的ストレスは想像を超える酷さで、次第に精神的に追い詰められていきました。

 

一度しかない人生 悔いのないように

 

ちょうどその頃、米国の大学院へ留学する男性と付き合っていたので、彼の留学時期に合わせて離職することを考え始めました。その旨を両親と彼に伝えると、「一度しかない人生だから自分の好きにすればいい」と言って貰えたので、きっぱりと離職することを決め、彼と一緒に渡米しました。

 

彼と共に二年間の米国生活(彼は大学院で、私は大学付属の語学学校で勉強の日々)を終え帰国した私は、品川にある小さな病院で看護師として働き始めました(夜勤や残業のない条件での復帰でした)。翌年には彼との結婚も控えていたので、あまり無理をしたくなかったというのが本心でした。

 

そして、無事、彼と祝詞をあげた私は再び看護師の仕事を辞め、主婦業に専念することになったのです(それが、彼の望みでもあったからです)。

 

その後、二人の子供にも恵まれ、順風満帆の生活を送っていました。しかし、リーマンショック後、夫の勤める金融会社の業績が急落し、ボーナスを削られ、給料が激減し始めると、一気に生活が苦しくなってきました。幸いにも、子供たちは小学校高学年になっていましたから、二度とやらないと思っていた看護師の仕事を再開することにしたのです。

 

しかし、子供たちがまだまだ小さかったので、とてもフルタイムで働くことは無理でした。

 

そこで、子供たちが登校した後に病院に行き、子供たちが下校する前には帰宅できる時間帯で勤務できる病院を重点的に探してみました。幸いにも、9時から15時まで1日6時間働ける病院が見つかったので、そこで働くことにしました。

 

あくまでもアルバイト看護師として働いているのですが、フルタイムで働いていらっしゃる看護師さんが三人しかいない小さな病院なので、アルバイトとはいえ非常に頼りにされていますし、最初に勤めた国立病院のような陰湿な苛めもなく、夜勤もないので肉体的ストレスもなく、非常に快適に働くことができました(現在は、両親の面倒を看るために実家に帰省中です)。